Diary

陶芸のしごとつづけてます

介護が終わってしまいました

2018年8月から更新せずに2年も経ってしまいました。

 

認知症の祖母ですが、2019年12月に大動脈解離で突然亡くなってしまいました。

2018年の記事を読むと、トイレの失敗はあるものの一人で数時間のお留守番はできていたころかなあと思います。

 

2019年に入り、認知症も進んだような感じがありました。

前半

・わたしの曽祖母(祖母の母)に会いに実家に帰りたいと言う

・気づくと一人で家を出ていってしまう(実家を探す)

・一人だとさみしいからとわたしか母のそばを離れない

・話しかけても集中力が続かない

・テレビを見ているようで長時間の記憶が続かない

GPSの靴はあまり役に立たず、家族で探し回った

 

後半

・ほとんどテレビを楽しめなくなる

・ぼーっとしてることが多い

・家族の話には入れない、話しかけると会話できる

・なるべく祖母の家族や兄弟の話をしたが、だんだんわからなくなる

・一緒に住んだ私たちのことは忘れなかった

・祖母が自分の実家をずっと探している、亡くなった曽祖父や曽祖母に電話で連絡してと、言う

(対応:わかったよ電話しておくね安心してね)

・約30年住んだ家がわからなくなり、お泊まりしてもいいの?と息子である父に聞く

(対応:ママさんのお部屋準備してあるからね大丈夫だよ)

・夜家族が気づかぬうちに家を出てしまい、近所の方がたまたま見かけて連れて帰ってくれた

その時転んだか、もしかすると事故にあったかわかりませんが腕の骨折と頭部を強く打ち顔面あざだらけでした…かわいそうでした。入院手術したせいで認知症が進んだ気がする。

・玄関や祖母の部屋のドアにブザーなどをつけようか検討するも蜂窩織炎や膝に水が溜まり歩けなくなる→車椅子が家に入らないため施設を探し始める→結果最後まで見つからずショートステイで過ごした

・トイレで用を足したいという気持ち?がなくなる

・基本紙パンツの中で大小するため、日記に大便がいつ出たか記録し、2.3日に1回朝、お風呂で洗い流す

大便の係は大体わたしがやるようにしていました。

 

母は姑であるわたしの祖母からキツく当たられていたので、葛藤もあったと思います。

でも、あれだけキツかった祖母が母に「ありがとう」と「ごめんね」と言うようになってしまい、わたしも母も、祖母がどんどん少女のように愛らしく感じるようになりました。

ショートステイの日は着替えと夜のおむつ替えがなくなると寂しく感じました。

わたしは仕事で家にいないこともあったので母の負担は計り知れません。

 

ショートステイ中に亡くなってしまったので、3日前に着替えを持って行き「また来てね!」と涙を流しながら手を握った祖母の顔が忘れられなかったです。何度も思い出しました。またすぐ会いに行けば良かったと。

 

病院から亡くなった祖母が家に帰ってきたときも、とても綺麗だったのでただ眠っているだけに見えました。お別れの日まで全く実感がありませんでした。ほんとに?ほんとなのかな?目の前にいるけど…起きないのかな…と。今思い出すと誰よりも泣いてしまったのではないかな…。あんなに泣けるとは思いませんでした。

 

たった数年ですが、認知症の介護の大変さを知り、辛い方も沢山いるんだと、今もまだ葛藤の中闘っている人がいるんだと思います。

施設に預けてしまえば楽だったかもしれませんが、我が家は母と祖母の介護ができて良かったと思っています。

 

祖父が亡くなって、たった数年。

二人がまたどこかで会えることを願っています。