Diary

陶芸のしごとつづけてます

うつヌケ

 ▼うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち

うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち

うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち

 

 手塚治虫パロディで知られる田中圭一先生

twitterで「泣けた…」という投稿を見て、本屋で見かけたら是非購入したいと思っていた。実は欲しい本はなるべく本屋で手に入れたい変なこだわりがある。

(そのわりにはイギリスから変えてきて電子書籍に移行する!と言っていた)

 

わたしは高校2年生くらいから浪人~大学2年に上がるまでの

5年間、うつっぽいトンネルの中にいた気がする。

 

家族とうまくいかなかった

今から10年ほど前、高校1年のころ。

叔母が離婚し甥をつれて我が家に帰ってきたことがきっかけで、家族は不仲になった。嫁姑関係がもともと良くなかった母と祖母の関係も悪化し、母は毎晩祖母の愚痴を言っていた。血がつながっていないから、しょうがないことなのだろうけど母が愚痴を言うときの父の顔がいつも切なくて心を痛めた。

 

その結果

動悸や不眠の症状が出始め、楽しかった学校も行くのがつらくなってきた。

夜不安で眠れない、朝は眠くて起きれない、休もうとすると母に怒られる、遅刻するとクラスに居場所がなくなったように感じる。(作中にもあったけど、まわりはみんな心配していてくれたのにそれに気づかなかった)

大好きな美術の時間も苦痛で、始発に乗れないからデッサンに行けないとか、体育祭の練習に行けないとかみんなは家が遠いことを理解してくれたけど「やる気がない」と思われてると被害妄想で距離を作ってしまった。

悪循環から自傷行為もした。

まわりに「どうしたの?」と聞かれるたびに当時飼っていない「猫に引っかかれた」とか「アトピーが酷い」とか言い訳をしていた。保健室でお昼寝させてもらうことが増えたし、出席日数も足りなくなった。

当時あまり中が良くなかったクラスメイトに「あのとき、クラスのみんなが心配してたよ」と5年後くらいに言われて泣いた。

担任や科の先生、保健室の先生に助けてもらった。本当に感謝してもしきれない。

 

診察

保健室の先生に相談して心療内科へ行った。

診察ではうつではなく、自律神経失調症だった。確かに、本や漫画やネットで見るより自分の症状はひどく無かった。

落ち込むことや、つらいつらいと思うことはあったけど、大丈夫だった。

独りぼっちだと思っていた気持ちが、5年の間に消えて行った。

作品を作ることによって誰かに喜ばれる嬉しさを知った。それが大きかったのかもしれない。

 

 うつヌケを読んで

うつヌケのタイミングはいつか、はっきり分からない。

叔母、甥が出ていったこと

一人暮らしを始めたこと

高校時代一番仲良くしてくれてたともだちと、関係を取り戻したこと

大学で新たな人間関係を気づけたこと

イギリスで大家さんに出会ったこと

色んなタイミングや環境の変化やその重なりで抜けていった気がする。

それと、気持ちが落ち込んだ時の対処法が分かった気がする。

 

田中圭一先生の漫画を読んで泣けたかそうでないかと聞かれたら別に「泣けなかった」そっれよりも「目から鱗」だと思う。うつじゃないけどなんだったんだろう、とかどうして落ち込んだ気持ちから抜け出せないんだろうとか、この先の不安が少し減った。

まだ周りと比べて不安になったり絶望を感じたり逃げ出したくなることはあるけど、なんとなく大丈夫と思う。

 

うつヌケした状態で改めて自分を客観視できたので買ってよかったと思う。